読書の記録 - 歴史修正主義

武井彩佳 「歴史修正主義」(中公新書

主にヨーロッパのホロコーストをめぐる歴史修正主義と,そのカウンターパートとしての国家の取り組みの歴史を概観する一冊.そこから,現在世界で渦巻く陰謀論に対する学びを与えてくれる.

ただし,実証主義的なアプローチとしては歴史が修正されることはごく自然である.歴史そのものに触れることは無理であるので,解釈を積み上げるものとなる.他方,日本語として明確に区別されていないが,修正の枠を乗り越えて,歴史を「否定」することが問題である.しかもそれは,政治利用と結びついた歴史の濫用こそが現代の問題となる.それは近年話題となる東欧諸国を巡る情勢だけではなく,むしろ西側諸国においても民主主義の尺度として法的・政治的アプローチが積極的になされている領域でもある.

それでも西側諸国に優位性があるとすれば,法規制の前提となる歴史観や政治規範に置いて,国民レベルで教育と議論がなされていること,そして何よりも表現の自由,その中で歴史研究の自由が守られていること,そして民主主義が普及していることがポイントとなる.特に後者がなければ,歴史の政治利用に対するチェックが行えない.歴史研究ができることはかなりの贅沢でもあるのかもしれない.

ところで,表現の自由陰謀論の喧伝とも表裏一体である.これについては,表現の自由を第一信条とする米英系と,民衆扇動などの対抗手段として表現規制を重視する大陸欧州系とでは考え方が異なる.そうした中で,近年のヘイトスピーチ問題に関連し,米国もそのスタンスを修正している節はある.余談だが,イーロン・マスクはまさにこうした大陸欧州系の潮流に反旗を翻し,表現の自由Twitter上で再度敷衍することを一つの目的としているとも言われる.

さて,こうした陰謀論だが,歴史学のアプローチと異なり,「事実」ではなくあたかも「真実」を知っているかのように振る舞うという特徴がある.加えて,「〇〇という可能性は否定できない」という語り口で議論を展開し,しかもその証明を相手に押し付け,それが成立できないからこそ「真実」である,といった詭弁を弄する.筋が悪いことに,「真実」が証明できなくても問題はなく,ヘイトスピーチなどの法規制の対象となることすら厭わないのは,むしろその槍玉に上がることで自説を世に知らしめること,あるいは「攻撃されるのは隠したい『真実』があるからだ」とむしろ支援材料にされてしまうためである.そう考えると,インセンティブ設計が違うため,制度面ではなしの礫とも言える.

こうした議論になると結局は教育という問題に行きついてしまうところは,我々も無責任なのかもしれないが,とは言え教育,そして広い議論が重要なのだろう.ちなみに,僕が定期的に読み返す本として 「野崎昭弘 『詭弁論理学』(中公新書)」があるが,詭弁としての論理展開の累計に触れておくことも役に立つと思われる.